早いもので今年も残り一ケ月を切り
年々一年が早く感じられます。
私が大学で上京するまで生まれ育った京都先斗町!
言わずと知れた花街であります。徒歩3分の所には
南座があり、12月の南座は顔見世興行が
が京の風物詩として定着しております。
小学生の頃より歌舞伎が好きでよく亡くなった祖母と
観劇にいっておりました。思い出としては亡き祖母の
実弟四世藤舎呂船、藤舎せい子先生夫妻に連れられ
3人で観たこともございました。こんな経験した人は
なかなかいないかと思いますが・・・・笑
小学生のころから三代目猿之助さんの熱狂的なファンとして
追っかけをしはじめ東京、名古屋まで観に行っておりました。
出待ちもしました・・・
当時猿之助さんは南座の顔見世興行にはなかなかお見えに
ならなかったのですが、20数年ぶりに出演なさいました。
それが私が中学2年の時。夜の部では「黒塚」を上演なさい
地方はお馴染みチーム澤瀉屋!
三味線先代杵屋勝緑、唄今藤長之、囃子先代藤舎呂秀師でありました。
お三方とも他界されさみしい限りであります。
黒塚は名曲であります。歌舞伎舞踊でこれほど三味線、唄の技量を要する
ある意味、オイシイ曲はないかもしれません。従ってそれがマズイと
かなり全体の印象も違い、感動が薄れるものと言えます。
三代目もトータル黒塚を800回以上演じられ市川右近さんいわく
何歩でどこまで来ると完璧に決まっていたそうです。
もちろんそのお三方も大半をご一緒なさっており
その息は阿吽の呼吸で、恐らく絶対的信頼関係でなりたって
いたと想像できます。間違いなく一級品でした。
とりわけ長之さんの唄に子供ながら魅了され、その顔見世においては
結果17回黒塚を観に行きました。19時18分くらいから始まるのですが、
家にいても、その時間になるといてもたってもいられなく
開演5分前に家を飛び出して楽屋口から二階後方の空席を
探しタダ観をしておりました・・・笑。当時は今ほど劇場も
厳しくないのでこれが通用していました。チケット購入しても観るんですよ!笑。
もちろん楽屋口ではどこの誰かはわかってくれているから顔パスなんですが・・・汗
猿之助さんの耳にも入っていたようです。
毎日通ってる子供がいると・・・
何度家庭教師をすっぽかしたものか・・・・笑
そしてその月楽屋へ行きとうとう「部屋子にしてください」と
藤間紫先生がおられた横で言った私。
猿之助さんは「貴方はお父さんの後を継ぐ使命が
あるから・・・」とおっしゃり返り討ちにあった気分でした。汗!
子供は怖いもの知らずで・・・しかしはっきり覚えているのが
今月逃したらいつご本人に言えるか?だから今月なんだと・・本当に子供の
心を魅了されたんですね!私にとってはスーパーマン?アイドル?
理屈抜きに魅了する役者さんなんですね~これって凄いことだと
思いますよ。当時黒塚の押隈が欲しかったが、さすがに
欲しいと言えずにいました。
昨年発売したCD「幸魂奇魂」の寄稿をお願いし快諾頂きました。
その時の喜びはいまだに忘れません。12月31日に文が送られてきました。
当時のことも覚えて頂いていたようで・・泣いて喜びました!
それから30年去年新橋演舞場での襲名のおりその思いを伝えますとあくる日に
思ってきて頂き念願の隈を頂きました。昭和54年。猿之助さん40歳!
元気元気元気・・・・パワー全開の頃の物!
凄い迫力です・・・今にも飛び出しそうな・・・ずっとしまっておきましたが、今月
京都顔見世の黒塚。私にとって特別の場所で特別な演目!襲名最後の月。
東京より持ち帰り京都の実家に掛けました。あえて床の間でなく、
いつもそばにという事でリビングに!
そしてこの隈は昨年額装にしてから猿翁さんに裏書をお願いし書いて頂きました。
私の宝物です。迷った時、苦しい時に向き合いつぶやくと答えが出てきます。
凄い力です。猿翁さん口上にでておられます。楽までお出になれるのか心配ですが
無理はなさらないで頂きたい。その存在自体私にとって神ですから・・・
そして四代目猿之助さん、中車さん、右近さん澤瀉屋一門の皆様おめでとうございます。
三代目の意思、魂をしっかり受け継ぎ観客を楽しませて下さい。